sabani trip 2010


与那国島ー西表島ー石垣島多良間島ー宮古島...........


 サバニ航海については、8人のクルーそれぞれがいろいろなところで発表しているので、私は航海方法や決断にあたっての自分との会話などを中心に書いていこうと思う。他のものに比べると楽しさや、わくわく感に物足りなさを感じるかも知れないが、私自身正直楽しい日々を送っている感覚は少ない。いかにサバニを安全に前に進めるかに全神経を傾けている日々だった。私にとってはその時間こそが最も魅力的な事なのかも知れないと思っている。またこうした航海に魅力を感じ、いずれ同じ事をしようとする人に僅かでも参考になる事があればと考えたりもする。これを読むことで想像していたより難しい事ではないな。と思ってもらえたら最高です。


7月6日   

 座間味のサバニレースが終わって、サバニの後片付けもそこそこにあわただしく与那国島に向かった。サバニで島渡りが出来るのではないか。最初にイメージしたのが、この海域だった。構想から7年、やっと与那国島に足を踏み入れる事ができた。 
 与那国島の空港に降りると宿の人が迎えに来てくれていて、そのまま祖内港近くのゲストハウス(フィエスタ)に行く。 祖内港は与那国島の東側にあって、私たちが向かう西表島側にある。サバニを載せた貨物船はこの港に着くので、出発は祖内港からとなる。私自身、与那国島は初めてだ。もし与那国島に行くとしたら、サバニで渡る事になるだろう。そう思っていた。それが今、現実のものとなり 不安や楽しみ等がごちゃまぜとなっていて、どこか落ち着かない。 スキッパーが落ち着かない状態だと、どこかで伝わり全体が浮つく気がして、努めて良い精神状態を保とうとする。到着早々 、早くサバニの状態を見たい! はやる気持ちを抑える。

 広い港内に、ぽつんと置かれたサバニ(指南広義号)はどこか小さく感じた。サバニは心配していた運送途中での破損も無くて、まずはホッとした。 海運会社の計らいで近くの斜路までフォークリフトで運んで貰い、いよいよセッティングを始める。セッティングを始めると何かにスイッチが入ったようで、いい感じで高ぶってくる。 何か問題はないか? スキはないか? 与那国の海を前に、「海峡を超える」覚悟と確信ができたような気がした。それは私だけではなく、キビキビとしたクルー皆の行動と笑顔の中にくみ取れた。誰が指示するという事もなく、それぞれがやるべき事をたんたんと進めるのが気持ちいい。
航海中は何度もこうした作業が続く事になる。
だから基本的な作業は全てのクルーが把握しておく必要がある。

与那国島 祖納港にて セッティングを始めた
 


 全ての準備を終え、テスト走行を兼ねて与那国東端東埼まで行くことにした。岬の先、潮がどの程度流れているのか? 一度見ておきたいと思っていた。 
 与那国からの航海で最も気を付けなければならないのは、強い潮による波と潮そのものだ。波は「越えられない」と思えば引き返せばいい。ところが、潮はそうはいかない。「思いのほか早い」 と分かった時、引き返せるか?が問題なのだ。もし潮が速くて、西表島までのコース上を維持できなければ、北に流され、これより先数百キロ、島が無い大海原に投げ出される事になる。 引き返すにしてもそのリスクは同じだ。 その判断は、「帰れる」と「越えられない」の二つを正確に予想しなければならない。

 もし明日、出発できたとして、潮の時間帯は今と大きな変化はない。潮の状態を見るにはちょうど良かった。 風は緩やかな南南東。帆を上げずに、ゆっくり岬に向かった。
岬を超えると緩やかなうねりが入っていたが、思いのほか凪でいた。
前々日までは、風もそこそこ吹いていたので、うねりもその影響が残っていると思ったが、状況はいい方に外れた。岬から2km程行ったところで引き返す。波のピークはこの先からは変わらないと思われる。 潮流も殆ど気にしなくても良さそうだ。 
 この先10km程先まで浅い海域がある。そこを超えた辺りから、もし潮が走っていて引き返す事になっても、この海域まで来たら潮の影響を受けない事になる。西表島に近づけば近づくほど、黒潮の影響はなくなるはずだ。いずれにしても小潮という事もあり、気になっていた波と潮に関しては大きな問題はなさそうだ。明日の風向き次第によるが、行ける条件は整っている。 

 水平線の向こう。 見えない西表島の方向を見ながら 具体的なコースのイメージができた。 


ここでクルーの紹介をしよう。 

伊東孝志  放浪画家 という紹介が最もしっくりくる。
長い野外生活の経験は、サバニ航海中にも活かされている。

村山嘉昭  アウトドアカメラマン 通称:ムラッキー
サバニ航海中は、地元とのコミュニケーションなどカメラマンとしての
比類なき天性の能力を発揮してくれる。 その存在自体がクルー全体の癒しとなっている。


満名匠吾  島豚料理店 店主 
その実直な性格と弾けた姿は、サバニ航海中いろいろな所で強い印象を植え付けて行く。

後藤  聡  映画監督 (修業中) 通称:アキラ 
サバニ航海に参加したくて
2度も仕事を辞めた。やる事全てに全力投球する。
人生を最も素直に生きている。


友利優子  海想スタッフ 
親父は宮古島久松出身で、久松五勇志とも多少の縁がある事から、
今回の計画への参加は誰より心待ちにしていた。


日置ともみ  海想スタッフ 女海想のスキッパー。 
ゆくゆくは航海も出来るようになって欲しいと期待している。


荒木瑞枝  フーカキサバニ事務局スタッフ 
レース、航海準備に陰ながら最も貢献してくれた。

森 洋治   海想代表 
最近は仕事もそこそこに殆どの時間をサバニに費やしている。

 スタートはこの人。指南広義号は全長8.5メートル。
本ハギによる帆かけサバニとしては、県内で最も大きなサバニではなかろうか。それでも人と荷物を含め、サバニに乗る総重量は700kgを優に超える事になる。安全を考えると、サバニに限らず船は軽いに越した事はない。クルー定員8人は、この舟の大きさからすれば限界だろう。今年に限って参加希望者が多く、航海中のどこかでクルー入れ替えも考えていた。

与那国島には他に、山本留美子(るみちゃん)と小原美紀(みきちゃん)も同行していた。この人には昨年サバニで奄美まで行った際知り合った。小原は「サバニに乗りたい!」という理由で、数ヵ月後には沖縄に引っ越しまでした。その後この2人は、サバニキャンプや幾つかのレースにも女海想のクルーとして参加している。与那国へは見送りのためにきていた。折角なので一緒にテスト走行に出た。水や荷物を積んでいないので、重量バランスとしてはまだ足りない程だ。 

南南東の風 2~3メートル 
マストと帆の相性を見たくて、帰りは帆を上げて走ってみる。初めて帆で走るサバニを見て、ジェットスキーでついてきてくれた宿のオーナーが、「速いねー」と言いながら夕食の準備のため帰っていった。約3時間のテスト走行だったが、彼もどこかで安心できたのかも知れない。 
 漕いでのスピード、帆走、そして重量バランスも問題ない。テスト走行が終わって港に戻ると、崎原海運の関係者から「安全祈願」と書かれた泡盛 「どなん」が置かれていた。初めにこの計画を知った時から心配してくれて、与那国島へ来てからも「危ないからやって欲しくないんだけど」「気をつけてよ」 と言いながら、応援してくれる気持ちが嬉しい。夜、宿の人が明日の出発を前にジンギスカンでもてなしてくれた。(宿の主人は北海道出身で、この日のために準備していてくれた)
 
 今回、天気予報の情報収集はムラッキーに託していたから随分助かったとは言え、全てを託す訳には行かない。私も自分なりの情報源で天気図とにらめっこをする。明日の予報では、与那国島周辺は風が廻り殆ど帆走は期待できない。という事は、漕いだ分だけ前に進む。少し潮の影響は気になるが決して悪い状況ではない。 気になるのは80km先の西表島周辺だ。九州地方まで下がった前線によって風が上がりそうなのだ。 最大で10メートルほど。これをどう見るかだ。これまでメートル以上の予報は出港を控えていたから、当然、停滞 という事になる。 停滞もあり得る、という前提でも出航のリスクをゆっくりと考えてみる。  
 西表島周辺は風が強く吹いても、波高はそれほどでもないだろう。また、風の影響は西表島周辺に近付いてパイミ埼を超えたら風、波、共に落ちるはずだ。 しばらくはパイミ埼の南に進路をとり、風が上がったところで帆を使い、パイミ埼を目指す。残り10kmで岬を大きく回り込んで祖納に向かう。潮の強さ、風がどの辺りから何時ぐらいに吹き始めるのか?また西表島周辺まで吹かない可能性だってあり得る。15時間以上、日が落ちてからも漕ぐ場面もありうる。それはそれで大変ではあるが、このメンバーでは問題もない。風が東に向いて、向かい風の可能性はあるか?その可能性は低い。 思いがけなく潮が走っていれば30度以上のぼり、与那国~西表コースライン上をキープし、時速5km以上のスピードが出なければ躊躇なく引き返す。全ての可能性をシュミレーションして、リスク回避できると思う。 与那国の海域を思えば、こんないい条件はないだろう。と思える。 
もしこれで「行けない」という判断をしたら、この先航海そのものが出来るのだろうか。風が上がって、波がそれほどないとしたら、初めて航海に使うサバニのポテンシャルをテストするにはちょうどいいと思える。
最終判断は明日早朝、最新の天気予報を見てからという事になるが、現時点では「行ける」 と判断した。かなりざっくりとした計画だが、私はこの程度でいいのではないかと思う。 ほとんどの場合、予定どおり行く計画などない。天候は日々刻々と変わるものだし、予想できなかった事の方がはるかに多い。大事なのは、思いがけない事態が起きても当然の事として受け止め、適切な判断、行動が出来るかにかかっていると思う。まぁ、私達にそうした対処ができるか? と言えばちょっと自信はないが、少なくともそういうものだとの認識だけは持っている。だから海に出ているときはどんな時も細心の注意を払い、常に緊張感を保ち続けなければならない。 

 

出発前日 東埼までテスト走行

77日   

 サバニレースの前から体を慣らす目的で4時には起きていたので、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。フトンから起き上がる前に予報を確認する。予報は昨晩と同じだった。時計を見なければ、もうすぐ夜が明けるとは思えない程暗い中、全ての準備を終え、サバニをゆっくり斜路から降ろす。

午前5:00 与那国島 祖納港出航
 

 沖の防波堤で点滅するライトで、うっすらとサバニの輪郭が見える。防波堤を交わすと水平線に星空が輝いていた。準備に追われて、上を見る余裕すらなかった事に気付いた。リーフを超え、東にサバニを向けた辺りでぼんやりした明かりが見えた。ダイナミックな与那国東端、東埼に幾人か見えた。おそらく宿の人や、るみちゃん、みきちゃん達だろう。 
 
 緩やかな南風が入ってきた。帆を上げて漕ぎの助けにする。潮は殆んど気にならない。漕いだ分だけサバニは気持ちよく波を切ってグングン進む。指南広義号も相当に早い。時速にして7kmほど。
もし、このまま風が上がらなくとも、明るい内に西表島に着けるかもしれない。
北に流れる潮を警戒して、しばらくはコンパス方位を10度(直線は110)にキープした。東埼20km地点を過ぎ、サンゴ曽根を超えても潮の影響を受けずにコースを維持できた。20度程戻し、120度でパイミ埼西に向けた。この辺りから風が上がってきた。 思っていたより早い風の上がりだった。西表島に近づくにつれ風が上がってきた。中間地点で7メートルぐらいだろうか? 縮帆して進むが、これ以上風が上がると最小に縮帆してもマストがもたない。波と風が上がる前に、アウトリガーにセットしてある小さな帆をサバニ本体に移動した。結局最後まで使う事はなかったが、風は10メートルまで上がりパイミ埼周辺は波も上がっていた。徐々にパイミ埼東に進路をとる。サバニの高いポテンシャルもあり、真横からの波でも余裕の帆走だ。風の助けも手伝って、出航から7時間、午後12時にはパイミ埼をかわす。10時間以上の漕ぎを覚悟して、最も近い西表島祖納の港を初めの目標としていたが、ここから白浜に変更した。崎山湾沖合まで来ると、波はストンと落ちた。このままリーフに沿って船浮に向かう。網取湾あたりでは、風裏ということもありダイビング船が何隻か見えた。内離島の狭い水路は昼の時間帯のせいか、観光船やダイビング船とすれ違う。

午後2:45 西表島 白浜到着

 夏真っ盛りというのに白浜の港はひっそりとしていた。
斜路に上げてまずは地味に無事の航海を祝った。 
与那国東埼から出発を見送った、るみちゃんとみきちゃんは、その日のうちに引き返し、こちらで出迎える手はずだったが、私たちが一足早く白浜に着いた事を伝えると、「えーっ、もう着いたのー!」 二人は石垣島からの高速船に乗ったばかりだった。 

午前5時 与那国島 祖納港 出航

 
 宿で一息ついて、干立に移動する。
西表に住む國岡恭子さんから、「地元の若者たちに帆かけサバニに乗り方を教えて欲しい」と誘われ、喜んで出かけた。 干立は左右が大きく陸地に守られ、浅く広いイノーはサバニを練習するには最も適したところだ。ビーチの前にサバニを囲んで6~7人がいた。その中に仲田さんの姿もあった。仲田さんは石垣から唯一サバニレースに参加しているチームの方で、恭子さんからの誘いで、西表の若者に帆かけサバニの乗り方を教えに来ていたようだった。私も早速に乗せて貰った。 
 私がこのサバニに乗るのは、これで3度目になる。
1度目は、恭子さんがまだ独身で、新城さんのところでサバニ製作の修行していた頃、初めて誰の助けも借りずに造ったサバニがこの5メートルのサバニ(小丸)だった。 北海道に住む須貝さんのサバニ(アスク号)の進水式の時に、一緒に出した時だ。
その時は両サイドに竹のアウトリガーを付けて海に出た。2度目は、石垣島でこの舟の管理をしていた仲田さんの案内で乗せてもらった。その時は単舟だったが、まだ帆走する自信が持てず漕いで進んだ。そして今回、自信を持って帆を上げ帆走する事ができた。初めてこのサバニに乗ったとき、「このサバニはいったい乗れるようになるのだろうか?」 半信半疑だった頃を思えば随分と前進したと思う。これを払拭するのに私は長い時間を要した。サバニに乗っては水舟になっている干立青年会の皆に、「この舟は練習さえすれば乗れる。」 と、その眼で見せる事ができたのは意義深いものではなかったろうか。
 
 サバニで遊ぶ我々の前に地元の老人が来て、昔の話をしてくれた。
帆かけサバニは、那覇から遠ければ遠い程、何らかの情報を持っているお年寄りが多い。それはエンジンなどの新しい情報が、地方まで届くのに時間がかかった。ということが大きな原因と思われるが、特にこうした離島は、帆かけサバニの景色を知る人が多い。老人は見た事があるだけではなく、帆かけサバニに乗っていたという。「サバニに乗るのは簡単だよ。風に向かって進めるようになったら本物だ」長くサバニに乗った経験がなければ言えない重い言葉に思える。 こうした大先輩が存在する事は、地域の大きな財産だと思う。 どんな些細な事でも可能な限り昔の話を聞き取り、これからの活動に活かして貰いたいものだ。 サバニにまつわるいろいろな話から多くを学べるはずだ。 

白保の浜で              チームうなじゅらの皆さんと

7月8日   

 せっかく西表島まで来ているのに素通りするには、ここはあまりにも魅力的すぎる。天候に問題はなくとも今日は停滞する。 私たちの旅は前に進む事を目的にしてはいない。 サバニを通じて地元の人と交わり、一日一日を楽しむ事を、その第一の目的にしているからだ。 楽しい場所があれば、それが停滞の十分な理由になる。 と、まぁ、早い話が「遊んで行こう」 という事だ。 
 
 まずはサバニで川を上り、滝まで行くことにする。
時間があれば、陸の孤島と言われる船浮へも足を伸ばそう。その先には、多くの西表の滝を知っている者は、誰もが一度は「エッ?」と、そのコンパクトさに驚く「水落の滝」がある。白浜からは仲良川が隣にあり、ここから数キロ川を上り、更に30分程歩いたところにナーラの滝がある。 私は以前カヌーで何泊かキャンプしながら、この周辺を巡った事があった。ガイドを伴っていなかったので、この先に滝があることすら知らずに、行き止まりの川から道伝いに小さな道をたどって行ったら、この滝に行き当たった。マリウドの滝やピナイサーラの滝に比べると、ここは訪れる観光客も少ない。カヌーで西表の川を上る度に、「今度はサバニで上りたい」と願っていた。 夢が一つ現実のものとなった。 
 
 出発してしばらくは、干潮帯で全員がサバニから降りて、押したり引いたりしたが、川幅が狭くなると川らしく蛇行し、十分な水深もあってアダンやマングローブの中、鏡の水面を、静粛の中ゆったりと進んで行く。
私にとっては、風も潮も波も時間も何もかも気にせず、ただただこの瞬間を素直に楽しめる至福のときだ。海を行くサバニで ジャングルの川を行く。何ともアンバランスなスタイルがいい。その昔、サバニはここを通った事があるのだろうか?と想像してみた。やはり水の上を渡る道具であっただろうから、当然ここにも何度かサバニは現れたのだろうと思う。だとしたら、何年ぶりの登場なのだろうか?
 
奥に進むにしたがって、左右の木々が空を被いマストがひっ掛かる。マストを下ろし、大きく右に左に振れながら木々のトンネルを奥へ奥へと進む。 出発から2時間ほどジャングルクルーズを楽しみ、ナーラの滝への登り口に着く。 西表は上流の川でも多くは海との標高差が少なく、干満の影響を受ける。干上がってもサバニに影響がないよう、泥炭層のところに係留する。滝は水量も豊富で、遊ぶに十分な広さと水深があり、皆、子供のように時を忘れて目一杯はしゃいだ。で、この日は体が冷えるほど遊んだため陸の孤島にも、水落の滝にも行かなかった。後でGPSを見たら、西表の奥へ奥へと進んでいて、サバニでここまで来られたのかと何だか不思議な感じだった。

サバニで 西表島の川を上る


7月9日   

 西表島でまだまだ遊んでいたいが、魅力的な島とは言え、旅は始まったばかりだ。先は長い。 風は少し強いが、天候はこのままずっと航海できるのではないかと思えるほど安定していた。 石垣島に向けて出発する事にした。 

南の風7~8メートル
 風は変わらずに吹いていたが、ダイレクトに入った波はまずパイミ埼で崩される。それでも、パイミ埼から宇那利埼までは、風とうねりはそのまま入っているはずだ。このコースで気をつけるところは、宇那利埼あたりだろう。白浜から宇那利崎までは、風と波を避けるため西表に張り付くようにリーフに沿っていく。宇那利埼を越えたら、石垣島までは波の影響はない。 
 今日の目的地を何処にするか?白浜から石垣島までは少し遠いが、風も悪くないし行けない距離ではない。が、目的地の白保までは、船の往来の激しい石垣港を抜けなければならず、もし明るい時間帯に着けないとなると、港周辺の騒がしいところに留まる事になる。ならばもう一泊、石垣島に近い西表周辺のどこかでキャンプでもしよう。 干立青年会からのアドバイスで、キャンプ地を高那に決めた。白浜から高那までは約35km。ゆっくり行っても5時間ほどで着く距離だ。  

午前7:40 西表島 白浜港出航 

 白浜港を出て内離島を越えて湾に出た辺りで、干立青年会の人たちがダイビング船で見送りに来てくれた。
以前、私はこの船に乗った事があった。干立にある‘南ぬ風(パイヌカジ)’は、マリンサービス業を営む‘空海’のご両親の実家で、ここにお世話になった。まだ小さかった子供を連れて、カヌーやシュノーケリングを空海の山下さんにガイドして貰っていた。南ぬ風の食事の美味しさが格別だった事、家族ぐるみで感じのいいサービスを提供していた印象が強い。十数年経った今、私がここにこうしてサバニで来ることも、山下さんに再会することも想像すら出来なかった。 
 干立青年会のみんなと分かれ、外離島の外へ出ると少しずつうねりが入ってきた。
慎重に宇那利崎に近づく。外側を回ると島を回った風が強くなり、波も上がる。出来れば宇那利崎の近くを通る。追い波だったが素直なうねりだった。宇那利崎を交わすと、ここから先は風裏になる。 まだ時間がたっぷりあったので、鳩間島まで足を伸ばそうと向かった。西表島と鳩間島の中間地点までくると、回りこんだ風が入ってきてこのまま池間島まで行っても、帰りの高那へは向かい風で難儀しそうだ。風は朝より少し上がっているようだった。ここは大事をとって鳩間島を諦め、高那へ向かう事にした。 
  
 高那へ向かう途中、赤離島辺りで、干上がって発達したサンゴを見てちょっと遊んで行こう。と思いついた。陸からの風は波もなく、海中の浮遊物を沖に追い出し透明度も上がる。更に、サバニを沖に安定的に保ってくれる。 沖合のリーフで遊ぶには最高のコンディションだ。ロープを長めにとってサバニを風に流し、皆リーフに上がる。ある人はスノーケルを楽しみ、ある人は夕食用に海産物の採取に高じる。何年か前サンゴの白化によって西表も大きな影響を受けたが、そんな事を感じさせないほど活き活きとしていた。 
 今晩のおかずも充分に確保した辺りで、少し海中を覗いて見ようとリーフに向かったところで事件は起きた。 3点セットを準備して海に飛び込もうとしたその瞬間、サバニが沖に流されていた事に気付いた。アンカーが外れたのは、たった今と思われるが沖に吹く風が強くサバニはどんどん沖に流された。「流されてる!」 大きい声で叫び皆に知らせ、サバニに向かって飛び込んだ。救いは3点セットをセットしていた事だ。私ひとりでもサバニに追いつけさえすれば何とかなる。仮に全力で向かって追いつけなくとも、フィンをはいてさえいれば帰りに潮に負けることはない。  旅もここで終わってしまうのだろうか? 
 全力で向かいながら、サバニを確認するが、その距離はなかなか縮まらない。サバニの方向を確認する何度目かの時、ロープがサバニから垂れ下がっているのが見えた。アンカーは横に流されていた。サバニに追いつくのを諦め、最後の望みにロープを探した。もう一度、ロープの方向を確認してその流れの方向に向かった。しばらくすると、ロープがしなるように沖に流されているのが見えた。あのロープに辿り着かなければ全ては終わりだ。 「頼む。届いてくれ」と、最後の力を振り絞って向かう。 
 流されているアンカーが見えた。 この時点でアンカーが流されているスピードと、私のスピードは殆ど同じだった。大きく息を吸ってから潜ってアンカーを掴まえた。 バックで泳ぎ、とりあえず一息ついた。掴まえてしまえば後は何とかなる。 戻れなくとも、1人で帆を上げて小浜島でも鳩間島でも、角度が悪ければ最悪でも石垣島まで行ける。荒い息を整えながらゆっくりとロープを手繰り寄せる。横に流されていたサバニは直ぐに体勢を立て直し、フィンだけでも戻っているのではないか?と感じた。 
  
 近くまで手繰り寄せてから上ろうかと迷っていたら、こちらに向かって泳いでいるのが見えた。 アキラだった。フィンなしでここまで来たとは驚きだった。
後で聞いたら、ここまでが限界だったと言っていた。後先を考えない馬鹿なヤツだ。 
「アキラ上がれ!」 「ハイ!」 限界だったアキラは、サバニに上がる力さえ残していないようだった。少し息を整え、時間をおいてアウトリガーを利用して何とか上がれた。 疲れているだろうが、ここは休んでいる時間はない。 「アキラ 漕げ!」 「ハイ!」 今度は1人でガッツリ漕ぐ。 私はフィンでこのまま向かった方がいいのか、サバニに上がって一緒に漕いだ方がいいのか迷った。 サバニが風に負けているのか、陸に向かって少しは進んでいるのか、このままでは分からない。もし負けているなら、帆を上げて最も近い陸に向かわなければならない。どっちが効率的かの前に、今の状況を正確に把握する必要から、上がる事にした。フィンを外すのももどかしく、2人で心配そうにこちらを見守る皆を目指して力の限り漕いだ。
 
途中までこちらに向かって泳いでいたムラッキーが、徐々に離れていくサバニを見、諦めて呆然と立ち泳ぎしていたが、止まったサバニを見て息を吹き返し、こちらに向かって泳いでいるのが見えた。2人で漕ぐサバニは殆ど同じ位置にいるようだった。ムラッキーがサバニに辿り着くことで帰れるめどが立った。私とアキラの荒かった息も整い、スムーズな漕ぎに入った。やがてムラッキーと3人で漕いで皆のもとへ辿り着いた。  
 今でもたまに、この場面を思い出す事がある。 紙一重でサバニを失わずにすんだ。  
 
赤離島から20分ほど走ると、今日のキャンプ地、高那に着いた。高那はリーフが大きく切れ、船を乗り入れるに適したところだ。

午後2:50分 西表島 高那到着  


西表島 白浜出航  干立青年会の人達が見送ってくれた
赤離島の辺りで しばし休けい


 今回のサバニ航海で初めてのキャンプを張る。今は休眠しているレストランの水道を拝借した。充分な水があると、キャンプはより快適で豊かになる。 ビーチの目の前に西表の海が広がり、綺麗に刈り取られた芝生にアダン、人の手が入っているとは言え、申し分ないキャンプ地。 時折雨が降って、タープに逃げ込みながらの食事の支度。今日の夕食は、海の幸がたっぷりと入ったパスタ。
 私は食事が終わると、早く体の疲れを取りたくて早々とハンモックテントに潜り込んだ。航海中、今日サバニが流された事が何度か思い出された。 しっかりと検証し反省しなければならない。 全ては私の不注意によるものだった。  
 風は強いとしても、サバニを押し流す力は、人ひとりが片手で支えられるほどの強さでしかない。アンカーが穴の中にしっかり食い込んでいたら、まずそれ以上引かれる事はない。ロープがサンゴにすれて切れる方が危ない。が、うねりも無く、船の上下動が無い場合は、最も太いロープは短時間で切れるものでもない。用心に もうひとつ大きいサンゴの岩にロープを取った。当初、私はサバニに残ろうと思っていた。2本のロープを取った事で大丈夫だろうと、スキが生まれた。 
 
なぜサバニが流れてしまったのか? この航海のために新調したステンレスのカラビナが、ちょっとした角度で外れてしまう事だった。予備の浮きロープはサンゴから外れて、輪のまま離れていた。私はあくまで予備として、人任せにして確認を怠ったのがその原因だった。 それにしても間一髪で助かった。もし何かの戒めだとだとしたら、「海に出ているときはどんな時も細心の注意を払い、常に緊張感を保ち続けなければならない。」 という事を、もう一度肝に銘じ、今後に活かさなければならない。


今夜のキャンプサイトは 西表島 高那

7月10日 

午前
:45  西表島 高那出航
南の風6メートル 


 西表島~小浜島間のヨナラ水道を抜けると、縮帆して帆走だけで進む。風が上がっている割に波が無いのは西表島と石垣島の間には小浜島や竹富島、そして広いリーフに守られ、北側は至って穏やかな海面になるからだ。石垣島に近づくにしたがって、船の往来が激しくなってきた。どのコースを行こうか迷う間もなく、船は猛スピードで通り過ぎていく。もう何も考えずに行きたい方向へ真っ直ぐに行って、相手側に避けてもらったほうが、てっとり早く安全だと思った。
帆を上げたサバニは遠くからでも見えるようで、中には興味本位で真っ直ぐに向かってくるプレジャーボートもいた。よそ見している可能性もあるので、大きく右に左に避けるが、その度にこっちに向かってくる。 ボートを操縦して、まだ間もない初心者だろうか、困ったものだ。
石垣港に入る最も込み合う防波堤のところに来ると、時間のタイミングも悪かったせいか、次から次へと高速船やらプレジャーボートが現れ、手漕ぎのサバニは、さながら高速道を横切る緊張感を要した。航海は外洋より島周りの方が気を使い、往来の激しい港は更に怖い。 港の中の端をゆっくりと東に向けて進む。 
 岸壁には幾つもの台船が繋がれ、重機が乗っていた。
沖縄に来る20数年前、私は潜水作業に従事していた。こうしたものと毎日関わっていた。少し懐かしくもあったが、こうした仕事を辞めようと沖縄に来た。だが、あの頃の経験が今に繋がっている。
無駄な時間などないのだと思う。 
「沖縄に来て良かったなー」と、少し緊張が解けたサバニの上で一人思っていた。
 途中大きな橋をくぐる。橋の名は 「サザンゲートブリッジ!」 この下を通って、いいのだろうかと戸惑うほど洒落た名だ。ここから一旦東側の外洋に出て、白保に向かわなければならない。東側に空いた狭い出入り口は、潮も早く白波が立ってやかましかった。大事をとって、潮が落ち着くまで港に戻り一息つくこととした。 

午前11:20 石垣島 登野城漁港到着

昼飯を済ませ、時間までそれぞれが思い思いの時間を過ごす。 私は風が抜ける港の公園の木陰でたっぷり4時間昼寝をした。 


西表島~小浜島間 ヨナラ水道を抜け 石垣島を目指す

午後4:00  出航 
 リーフの状態が分からないので、ここからは東に抜ける水路を通って一旦外に出る。白保へは宮良湾から入った。目立った入り口は見つからなかった。浅く、所々にサンゴの突起があったのでラダーを上げて慎重にイノーの中に入って、やっと見覚えのある白保の舟泊まりに着いた。指南広義号はここで生まれ、2年ぶりの里帰りだ。  ビーチには白保でシーカヤック業を営む、「ちゅらねしあ」の八幡さん夫妻と新城さんがいた。八幡さんにはこの辺の情報収集のため、何度か連絡を入れていた。新城さんには、前日サバニで行く事を伝えていた。私はいつものように勝手に新城さんの家にお邪魔するつもりでいたが、考えてみれば行く事を伝えていただけで、泊めて欲しいとお願いはしていなかった。が、本人はそのつもりでいたらしく、私たちが着いたときには既に部屋にはクーラーが利いていた。 
その夜は石垣島の友人も駆けつけてくれて、大勢で遅くまでユンタクした。他の人は気づいただろうか。
新城さんは心から喜んでくれた。私はそれが何よりうれしかった。来て良かったと思った。


石垣島 白保へ

7月11日  

午前8:00  石垣島 白保出航

 多良間島へ行く前に少しでも距離を稼ぐため、平久保崎あたりで一泊して向かう事にした。石垣島の東は平久保埼までの30数km、延々とリーフが続く。手付かずの海岸線を、帆かけサバニでゆっくりと走ってみたい。 ここへ来る度に思っていた。ところが、白保を出てからのリーフ内は、干上がったサンゴによって帆走どころか、皆サバニから降りて延々と押したり引いたりしなければならなった。それでもクルー全員が力を合わせ、この困難な状況にも関らず一歩一歩とサバニを前に押しやる。見えない平久保埼を思えば絶望的とも思える距離を、それでも誰も弱音を吐く事なく、ひとりひとりが強い意志で前に進む事だけを考えていた。逆境にあってこそ、その真価が問われる。このチームだからこそ出来るものだと思う。  
 結局、平久保埼を諦め、明石を今夜のキャンプ地とした。明石に着いた時は、午後5時をまわっていた。歩いたほうが早い程、白保~明石までの27kmを9時間かかった事になる。 紙上の計画を「安全性が担保される」と、下調べもないまま実行に移してしまった。明らかな判断のミスだった。皆に本当に申し訳ない事をした。反省しきりだ。
 広く長い明石のビーチは、牛もお気に入りの場所らしく、大きく乾いた(中には乾いていない)糞が山ほど広がっていた。サバニを盾に風裏をつくり、牛の糞を避けて布を敷き、上にタープを張ると立派な寝床ができた。 皆ここに横一列になって寝た。ムラッキーの弟夫妻が明石の隣部落、久宇良に住んでいる。昨晩の夕食の他にも、暗い内から朝食と昼食用のおにぎりまで作って持ってきてくれた。スープにサラダもついてキャンプとは思えない贅沢な朝食だった。


石垣島 東海岸 白保~更に北へと進む

7月12日
 
午前7:00  石垣島 明石出航  
南の風 6メートル

 明石沖はリーフが大きく開かれ、ここから真っ直ぐ多良間島に向かう。 
数日前から吹いていた風が少し落ちて、外洋に出ると緩やかなうねりが入っているだけだった。出発から2時間ほどすると、北に流れる潮によって石垣島北端と多良間のコースライン上を維持できなくなっていた。 予め少しのぼり気味で進んではいたが、更に20度ほど南に立ててコースを維持する事になる。こうなると南の風だと帆だけで進む事は出来ない。 中間地点までくると流れは更に上がって、多良間の鉄塔を横に見ながらの角度になってしまった。 
 宮古島~久米島間の航海を想定して、このコースはスキッパーをトンちゃん(日置)に変えていた。私は漕ぎながらも、多良間とGPSを覗きながら、何度も「もっと上って!」「もう少し上って!」 を繰り返していた。
 
潮は多良間周辺まで落ちることはなかった。多良間の南は6~7メートルの風にも関らず、潮にぶつかった波がサバニ内にも入ってくるほど意外とやかましかった。申し分ないような気象条件の中でも、なかなか楽には渡らせてくれない。この辺は、ちょっとのスキも許されない海峡なのだと改めて感じた。  

午後12:00 多良間島到着  走行距離50km 5時間の航海

石垣島 明石~多良間島を目指す



 多良間島の東、普天間港を目指したのは、多良間島と水納島間の潮が早かったら、南風だと風裏になるからだ。終始、風を利用できる普天間にした。1家族しか住んでいない水納島も魅力的で検討したが、南風だと波があがり、リーフの切れ目が分かりにくい。という情報から、消去法で最もリスクのない普天間港を選んだ。 
 渡り終えて、コースを振り返ってみた。多良間島の西にある前泊港は、仮に潮が走っていたとしても風は利用できるし、問題なかったと思われる。南の荒れた海況から入るより、むしろ西の港に入ったほうが良かったと思う。 水納島はどうか? 水納島は南側に開いたリーフがメインの入り口だ。 確定的な事は言えないが、リーフの口がどれほどの大きさか分からぬまま、波が上がっている状況では向かわずに良かった。 

 多良間島へのフェリーは、集落のある前泊港ではなく普天間港に接岸するようだ。 私たちが到着するちょっと前にフェリーが着いていたので、しばし賑わっていたが、出航すると、人気のない閑散としたターミナルとなった。島のターミナルはどこも似たようなものだが、特にここは集落から離れているから、「ちょっと売店へ」という訳には行かず、ターミナルを管理している方の好意で車を借りて買出しに出たクルー以外、殆どはターミナル周囲500メートル以内から一歩もでなかった。まぁー、私にとっては昼寝が最も充実した時だからそれで充分なのだが。  明日も天候に問題なし。天気図の下に雲の固まりがちょっと気になったが、このままずっといい感じで続いてくれるのではないかと思えた。
 クルーの一人に海上保安庁から連絡が入っていた。内容は、サバニに積んでいる連絡手段など安全備品の確認だった。聞かれた内容は全て備えていた。「気を付けて航海して下さい。」ということで終わった。石垣島の港で、地元メディアから取材を受け新聞に載ったことで、海保の知ることとなった。役所の中では、時には見て見ぬ振りをする中にあって、ちゃんと調べてコンタクトしてくるところは好感が持てた。いずれにしても、私達の事を心配してのコンタクトだろうからありがたく受け取った。 
 私たちの航海を知った島民の羽地さんは、いたく感動され、出発の朝、沢山のおにぎりと果物、そして全員に塩が入ったお守りを頂いた。後で、羽地さんが撮ってくれた、私たちが防波堤から出る映像を頂いた。港の出入り口は潮も速く、波の中、木の葉のように見え隠れするサバニを見てさぞ心配していたのではないだろうか。


多良間島 東に面した 普天間港に到着

7月13日  

午前
:10 多良間島 普天間港出航 

 明石~多良間のキツイ潮を教訓に、始めから30度ほどのコース上を行くこととしたが、港を出てすぐにグングン北に流されている。北に流される事は覚悟はしていたが、港を出て、こんな早くしかも相当な速さで流されるとは思っても見なかった。サバニをうねりに向けて上ってみる。風は殆ど頼りにならない。これでもしスピードを保てなければ、諦めて引き返すしかない。
 サバニは流されずに進んでいた。今度は宮古島に向けて角度を保ちながら進んでみる。それでも時速4~5Km程のスピードで進んだ。この潮がこれから更に上がるのかが悩ましいところだ。もしこの後、1ノットでも上がったら状況はかなり厳しい。このまましばらく、コース上をキープできるか注意深く走る。 
 
GPSでコース上を設定できるが、私は未だにアナログな方法でコース上を確認している。簡単な方法としては、島の2点以上の目標物を設定しコース上の確認をする。 今回は多良間島の防波堤と砂浜、そしてその上にある鉄塔という具合に、簡単なラインを引く。後ろを振り向いて、防波堤から左側にビーチが隠れるようなら北に流されている。もし防波堤が見えにくくなれば、ビーチと鉄塔のラインに変更する。こうして直線上に目標物を作って、徐々に大きな目標物に変えていく。10Km以上離れて目標物を確認できない場合は、島とコンパスを注意深く見ていく。  
 また、島間、太陽、波、風、サバニに当たる角度を注意深く見ていると、コンパス無しでも潮がどちらに流れているかぐらいは、大体分かるようになる。航海中は、島とサバニの位置関係を常に正確に把握する必要がある。特にこのような場合、対応は早いほど選択肢は広がり安全度は高まる。これはあくまで、どちらかの島が肉眼見える程の距離に限られる。宮古島~久米島間はGPSに頼る事になる。

 このまま宮古島に向かっても何とかコースが維持できると分かったところで、皆に潮がきつく北に流されている事を知らせる。さっき出てきた防波堤が大きく左に流されている事が確認でき、皆漕ぎに力が入った。スピードは、時速6~7Kmに上がった。スタートから1時間で、やっとこのまま宮古島に向かうと決めた。 
 向かうべき方向から30度以上上って、やっとコースを維持できる状態だった。中間地点までギリギリのラインで進んだ。中間地点まで来ると潮が変わった。それでも進行方向は維持して、上りを少し貯金した。 スタートから5時間以上休まず漕いでいたが、昼まではまだ少し時間があったので、後2時間も上れば、帆走できゆっくり食事もできる。  
 下地島10Km程手前から帆走だけで進む。下地島東に大きなリーフの入口があり、立標を交わすとここからは穏やかな内海に入る。追い風を受けながら、広がる淡いブルーの中、緊張感も解け、開放感でみんな笑顔になる。まだ時間があったので、このまま池間島まで向かう。次の目的地、200kmを越える久米島を思えばなるべく距離を稼ぎたい。途中、宮古島~伊良部島の架橋工事が行われていた。完成したら、ひとつの観光資源になるのだろうか? 言い尽くされた言葉になるが、便利さと引換えに、目に見えにくい大切なものを失っているのでないか? これもよそ者の無責任な感情だろうか。

午後3:00 宮古島 池間島到着 走行距離74Km 9時間の航海

多良間島~宮古島 池間島へ 6時間爆漕ぎし続けた

 池間島の斜路で何人か出迎えてくれた。取材の人たちだった。恐らく多良間島から連絡を受けたのだろう。 そして青い制服を着た海上保安庁の人たち。明日から台風の影響で、波高1,5~2メートル 南南東6メートルと予想されていた。海上保安官は、コピーした天気予報の情報をくれた。
 そして、ここから先、久米島までの区間は船舶検査を受けて下さい。という。私たちが乗ってきたサバニは船舶検査が必要だとは思いもかけなかった。
 「サバニは船舶なのか? 」何人かの仲間に連絡をとり情報を集めた。
エンジンが装備されていなくとも、20海里を越える帆船は検査が必要だという事のようだ。 
 では「サバニは帆船なのか?」 という事になった。 
そうなると、調べれば調べるほどサバニは確定的に船舶とするにはグレーの部分を含んでおり、直ぐに帆かけサバニ=帆船=船舶検査というには、無理があるのではないかと主張した。 これを判断する行政機関、内閣府総合事務局に何度目かの連絡の後、正式に「帆かけサバニは帆船になります」 となった。 では、実際に帆かけサバニは20海里超えるための船舶検査は可能なのだろうか?後で日本船船舶検査機構に行って可能性を探ってみたが、想像していた以上の朗報は無かった。 
ある程度法律の理解が出来た今でも、法に則って帆かけサバニは帆船とした総合事務局の判断は間違っているとまでは行かなくとも問題があったと思っている。
 これにより私たちは法にふれない方法で海峡を超えるための模索をした。 「伴走船を付ける」 「曳航する」 いずれの可能性も絶たれた。 結局、可能性の模索に約1週間を要し、出された結論は、サバニを貨物船で送り、クルーは飛行機で帰って来る事になった。 

 だからと言って、池間島での滞在はこうした事に明け暮れていた訳ではない。
 
港に寝泊りしている間、自由に水を使わせて貰い、海人から多くの差し入れを頂いた。2日目からは、立派な一軒家を無償で提供してくれた。 こうした池間島の人々の優しさに甘えて、滞在中、更に快適に過ごせた。今思えば、池間島に停滞しなければ、こうした人たちとの交流も無かった。この先への航海は果たせなかったが、精神的にもタフなクルーはこうした状況にも関らず、航海同様に何ら変わる事は無く、全てを受け入れ楽しむ術を知っていた。 池間島での滞在も、笑いが絶えることの無い楽しくも充実した日々だった。

旅は宮古島で終わった。 
正直この先へ行けなかったのは残念ではあるが、サバニでなければ出来ない濃厚な旅だった。



宮古 池間島で旅は終わった



おわり

text  by  森洋治 
photo by  ton&fiesta






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